両サイドに、ゴオッと大きな音をたてて、自動ドアが開いた。
喧噪は、人だかりと、話し声と、綺麗に並んだ両替窓口からの呼び込みで作られていた。目前に、鮮やかな色とりどりのカウンターがずらっと並んでいた。
のんびり屋の私は、カウンター前をかなり歩いてから、人だかりが空いたところで両替が必要か考えて、客待ちのカウンター前におちつき、200ドル出した。 初めての中東。念のために日本からドルを用意していったが、全くの取り越し苦労だった。 どのカウンターにも 日本円の表示があったのだ。
用意していた空の財布にディラハムと計算書を入れ終わると、ゆっくり歩きながら、”何も見落とさないぞ”と意気込み、目を左右にくるくるさせながら、ミーティングポイントへ着いた。
名前を書いたボードを持った人たちが こちらを見ている。20人はいる。たかってくるようにしか見えなかった。 彼らが手にするボードにはMR. と書かれたものばかりで、自分の名前を探したが、無い。
”まあなあ、、、フライト連絡したのに 迎えに行くとも何とも言ってこなかった。
自分で来いという事だな。やはり、女への否定の合図かもしれない。 朝5時到着じゃなあ。。”
仕方なく、タクシー乗り場へ向かった。
”タクシーに乗る前に交渉すること”
”前に来た時と 変わってないなあ” と言うこと。
いくつかの、社長からの注意点を思い出しながら、「Abu Dhabi」 (アブダビ) と言う。
今だったら、ドライバーの顔が上気したことにも 気づくだろう。 それに、上気するどころか、文句も出るだろう。
この当時は中東ものんびりしていて、帰路(アブダビからドバイへの)が空になることは、計算に入らない。
片道150キロの運賃を支払う上客だった。
「How much」 (いくら?)
「250 Diraham」 (250ディラハム)
んっと、30かけて、7000円。
あまりにも安くて、ネゴる(交渉する)のを忘れてしまった。この時50ディラハム高られてたと思う。
あっさりトランクにキャリーケースを入れてもらい、タクシーに乗り込んだ。
窓には、もちろん、Toyotaという文字が。
タクシーは空港の駐車場を出る。まぶしさが飛び込んできた。
太陽は上ったばかりだと気づき、温かい日差しと朝風が車中に流れ込むのを感じた。
ドバイに来たのだと思った。
タクシーがスピードを上げだした。